わたしの生活になくてはならない音楽、そのルーツを見たい。
こんな想いで2万5千km・36時間の旅が始まった。
わたしは熱帯性の音楽に強い興味がある。
特にアフリカ、なかでも西アフリカは音楽の宝庫と聞いていた。
皆、アフリカというと太鼓を思い出すだろう。
誰が叩いても音が出てくる最古の楽器である。
楽譜も文字も持たない人々が1500年も前に生まれたリズムを今に伝承しているのだから、すごい。
労働のかけ声からメッセージ色の強い歌、特有のハーモニーもある。
今回の撮影は、いつものロケーションとはまったく違っていた。
わたしの背中にはカメラ、手には寝袋、よりアフリカらしいアフリカを求めて田舎や漁村を訪ねた。
現地の人と生活を共にしたかった。
井戸水を飲み、同じ物を食べ、ライブな撮影になった。
いつもよりゆっくりのペースの撮影で記録色の強い写真が多くなった。
一日の時間も、東京とは確実に違った。
時は太陽、分とか秒という時間はないのである。
そんなことに気がつき、到着して数日後には腕時計をはずした。
今は観光地だが奴隷貿易の島だったことは事実である。
この地からおびただしい数のアフリカの人々が強制的に大西洋を渡らされ、世界が大きく変わった。
そして音楽も彼らの体の中を伝わり、他のさまざまな音楽に影響を与え変化し、今に伝えられている。
南北アメリカには、アフリカンスピリットを称える曲も多い。
音楽といえば誰かが演奏するものである。
太鼓が響き出すと手足が動き、体が動き、踊りだす。
これが本来の音楽なのだろう。
面白いことにアフリカン・ダンスはリズムに合わせて踊るのではなく、プレイヤーがダンサーに合わせる。
若者はパワフルに、老人は味のあるフレーズ、当然ノリがいいとリズムも早くなる。
西洋音楽では、最後までリズムは正確にと教えられたが、ここでは気分の高まりがリズムを響かせる。
早くなるのは心臓だけではないのだ。
より人間的で、自然なことだ。
太鼓を叩いた。
乾いた大地に響いた音を聞きつけ、子供たちが遠くから走ってきて踊りだす。
こんなことに何度も出会い、やはりここでは音楽が生活の一部であることを実感した。
わたしの叩くジャンベで、子供たちが楽しそうに踊っている。
音を楽しむ事が音楽である。
なんだか生きている風景のなかに居合わせた、そんな気がした。
アマチュア・バンド「フォリバ・トキオ」 を組み、三年前から楽しんでいる。
ギニアではジャンベのレッスンを受け、手を真っ赤にした。
セネガルでは太鼓作りを習って、今では自分で作れる様になった。
このジャンベの音は、これからもわたしの体のなかで鳴り続けるだろう。